選ばれる「技術力・人間力・文化力」を磨き続け、期待に応える
を大事に受け継いで行きます。
2018年(平成30年)、文華堂創業家の系図を作成する為に熊本市・長崎市・佐賀市・
香川県丸亀市の各市の住所表記の場所を訪ね、各市の市立図書館で文献を紐解き、
その地の歴史・時代背景・古地図で検証し仮説を立て系図に反映させました。
創業は明治新政府が発足した明治元年である事が判明しました。
創業者である伊東寅之助は熊本県飽田郡高橋町の細川藩の奉行所で内与力として印章の
製造や通行書の発行等を行っていたと思われます。
1872年(明治4年)に戸籍法が制定され、最初の戸籍謄本記載地は細川藩で人と物流の拠点
高橋川沿いの高橋町奉行所跡地でした。
新政府に対し、不満武士による佐賀の乱など社会は大混乱をきたしましたが、
2代目である伊東寅三郎は、技術力・人間力・文化力が身を救い、事業の継続に至ったと思われます。
1888年(明治20年)に長崎市に移転し、薩摩藩蔵屋敷・五島藩蔵屋敷の間の角地で事業を
展開し、後に韓国大邸の一等地を拠点に、福岡県・佐賀県の官公庁の仕事も受け
手広く事業展開をしていたと聞いています。
終戦になり、全てを現地に残し日本に引き上げてまいりました。
今も韓国大邸・釜山に文華堂の看板を見ることが出来ます。
先代・先々代は何度も行き来をし、私も家族で訪問をしました。
現社長を始め、ご家族皆様・社員の方より大変なおもてなしを頂き、4代目である前村秀次を
師・恩人と崇め、大きく立派な「硯」が祭壇にお供えしてありました。
「自分達の原点がこの硯に有る」とおっしゃり、感謝のお言葉を頂きました。
当社がずっと変わらず大事にしてきたものは「人」である事の立証を得ました。
いくつもの戦争を体験し、時代の大転換期を何度も経験し、ゼロからの出発にも
決してあきらめる事無く乗り越えて来ました。
全てを失ってからも這い上がる逞しさ・生き抜く力。そして、どんな状況下においても
決して看板を下ろす事を考えなかった先人は、命を掛け、常に夢を追い、国・文化・
生活習慣・時代が変わっても「人」を活かし、すばらしい知恵・力を持って
乗り越え、思いを一杯今の私たちに託しました。
事業継承とは「創業者の魂の継承」であり、「経営理念の基」となっている「創業の精神」を受け継ぐ事なのです。
私達はまさに今、バトンを受け継ぎ現在を生きるランナーです。
どのような事に遭遇しようとも次の走者に渡して行かねばならない責務があります。